メンタルケアの専門家(公認心理師)が解説!身近な人の「死」と向き合う方法②
前回のコラムでは、身近な人の「死」を経験したときに、私たちの心や身体、生活に起きる変化と、それを支える「グリーフケア」について紹介しました。また、自身の状態を理解するための助けとなる考え方として、「日本グリーフ専門士協会」が提唱している「グリーフスパイラル」というものを取り上げました。今回は、この「グリーフスパイラル」についてより具体的に解説します。
グリーフスパイラルとは(前回のおさらい)
「グリーフ」(大切な人やものを失ったことによる、深い悲しみや嘆き、そうした感情を抱きながらも奮闘する中で起きる複雑な反応、不安定な状態を意味する言葉)を抱えながらも、自分らしく生きていけるようになるまでの道のりを示したものが「グリーフスパイラル」という考え方です。
出典:日本グリーフ専門士協会
端に「喪失」があり、中央に「哀しみ」があります。そして、その周辺に「混乱」「否認」「怒り・罪悪感」「抑うつ」「あきらめ」「転換」「再生」と書かれています。これらの状態は必ずしも順番通りに現れるものではなく、どこかの局面が現れないことがあったり、行ったり来たりすることもあると言われています。
中央にある「哀しみ」は、なかなか目に見えないものでありながら、常に心の奥にあるものです。「哀しみ」は喪失体験における根っことなる部分です。その「哀しみ」が根っこにある中で、周辺にあるそれぞれの局面での反応が引き起こされます。つまり、目に見えにくい「哀しみ」を常に抱えながら、目に見えやすい形でそれぞれの局面での「反応」が起こっているといえます。具体的にどういった反応がそれぞれの局面にあたり、各局面での心の状態はどのようなものなのかをみていきましょう。
混乱・否認の局面
・家族の交通事故の知らせを受け、事故の現場へ向かったが、どこをどう走って行ったのかを覚えていない。
・葬儀をしたが、誰が来たのか、どんなことをしたのか覚えていない。
などの反応は「混乱」の局面で起きていることにあたります。
・亡くなったはずの方との思い出の場所に行っては、いつもその姿を探している。
・亡くなったはずの方の食事の準備を、いつもしている
などの反応は「否認」の局面で起きていることにあたります。
こうした反応は、あまりにもつらすぎる現実があったとき、そのまま直面していては自分の心が壊れてしまうと無意識的に感じ、自分の身を守るための「防衛機制」が一時的にはたらいているものだと考えられます。また、「信じたくない」「嘘であってほしい」という願いのようなものも含まれていると考えられます。
怒り・罪悪感の局面
・事故を起こした人に対する怒りの気持ちが収まらない。
・「どうして助けてくれなかったの」と、医師に対して怒りっている。
・危篤の知らせがある中、どうしても外せない仕事のために大切な人を看取ることができず、行かせてくれなかった上司や同僚、会社への怒りの気持ちがある。
・上の状況で、仕事を優先した自分自身を責めている。
・「どうして私を置いていなくなったの」と亡くなった方への怒りの気持ちがある。
・友人などに対し、「あなたたちに何がわかるの」といった怒りの気持ちがある。
などの反応は、「怒り」や「罪悪感」の局面で起きていることにあたります。
他者や社会、亡くなった人や神仏など、自分以外に向けられた負のエネルギーは「怒り」となり、自分自身に対して向けられた自責の念は「罪悪感」となります。
この局面での反応は、現実に直面し、どうしようもない負のエネルギーが沸き起こっている状態と考えられます。とてもつらい出来事を、現実として認識し始めている状態ともいえます。
抑うつの局面
・外に出る気力がなく、ひきこもりがちになった。
・すべてがどうでもよく感じる。
・何をしていてもやる気が湧かず、仕事に行ってはいるがミスばかりしてしまう。
などの反応は「抑うつ」の局面で起きていることにあたります。これまで、受け入れがたい現実に混乱したり否認したり、他者や自分を責め続けたりすることなどに、多くのエネルギーを使ってきて、もう身も心も疲れてしまい、エネルギーが足りなくなっている状態と考えられます。心や身体が休息を必要としている状態ともいえます。
あきらめの局面
・誰を責めてもいくら泣いても、大切な人は戻ってこないのだと思うようになった。
・亡くなった方のものを整理することにした。
などの反応は「あきらめ」の局面で起きていることにあたります。哀しみがなくなったわけではないけれど、現実を少しずつ受け入れようとしている、受け入れなければばらないと思っている状態と考えられます。
転換・再生の局面
・このままではいけないと思い、大掃除をしたり、日々のルーティンを作ったり、趣味の時間を作ったりするようにしている。
・同じような経験をした方々と話せる場所に行くようにしている。
などの反応は「転換」の局面で起きていることにあたります。哀しみが消えたわけではないけれど、このままではいけないと思い、行動し始めた状態と考えられます。
そして、「再生」の局面では、やはり哀しみが消えたわけではないけれど、自分の生活に目をむけ、自分の幸せを考えられるようになっていきます。時には故人に思いをはせて涙を流したり、逆に故人のことを考える時間が少なくなったことに切なさを感じたりしながらも、自分らしく生きられるようになった状態といえます。
大切な人を心に刻み、歩んでいく
大切な人の「死」を経験したときに、私たちの心や身体、生活にはこれだけの様々な変化が起こりながら、少しずつ再生へと向かっていきます。この時間は本当につらいものである一方で、大切な人と過ごした時間や思い出が、改めて私たちの心に刻まれていく時間ともいえます。様々な感情に困惑しながらも奮闘し続ける時間は、私たちに心を強く、優しくさせてくれる時間ともいえるかもしれません。長い時間をかけて自分らしく生きられるようになったとき、その「自分らしさ」は、以前とは少し異なる「自分らしさ」になっていることでしょう。その変化は大切な人が与えてくれたものであり、大切な人が自分の心の一部となって刻まれ、「新たな自分らしさ」をも見つけ、歩んでいけるのだと思います。だから、すべての時間には大きな意味があります。
私たちは、状況は様々ではあるけれど、いつか誰しもが大切な人の「死」を経験しなくてはなりません。だからこそ、自分が苦しいときは遠慮せずに支えてもらい、他者が苦しいときは力になろうと考える。そうやって支え合うことで、心が癒されていくのだと思います。
次回のコラムでは、「大切な人を亡くした人に対し、周りの人ができること」について解説していきたいと思います。よろしければご覧になってください。
(公認心理師 浅野琴子)
※参考書籍「大切な人を亡くしたあなたに知ってほしい5つのこと 井手敏郎」